ウィンブルドン
Wimbledon




ウィンブルドンと言えば、毎年6月に開催される全英テニス選手権、ウィンブルドン選手権(The Lawn Tennis Championships)を知らない人はいないでしょう。テニス選手やテニス・ファンにとっては憧れの地です。

ウィンブルドンはロンドン南西部にあります。全英ローンテニスクラブがあるだけでなく、ロンドンでも有数の高級住宅地を控えています。ロンドンに駐在する日本人にもこのエリアの人気は高いようです。

テニスは1870年代に始まったといわれます。全英ローンテニスクラブは1868年に創立されました。英語での正式名称は、The All England Lawn Tennis Club and Croquet Clubです。ウィンブルドン選手権は1877年に始まりましたが、当初はガーデン・パーティーのような雰囲気だったということです。クラブは1922年以降、現在のチャーチ・ロードのところにあります。博物館もありますので、テニスの歴史を知ることもできます。

ローン・テニスが行われ始めた初期の頃の様子を描いた絵画
painting by Horace Cauty,1885

ここを訪れるには、鉄道では、地下鉄のディストリクト・ラインのウィンブルドン・パーク駅(次が終点のウィンブルドン駅です)がもっとも近いようです。BRのウィンブルドン駅からは2キロくらいはあり、散歩を楽しむにはちょっと時間がかかりすぎます。

地下鉄ウィンブルドン・パークの駅を出て西へ向かうとウィンブルドン・パーク(Wimbledon Park)があります。ここには大きな池や運動場、ゴルフ・コース、テニス・コートがあります。そして、チャーチ・ロードをはさんで西側にウィンブルドン・テニスの行われる「テニス・コート」(All England Tennis Courts)があります。その西側は有数の高級住宅地です。


さらに西に行くと広大なウィンブルドン・コモン(Wimbledon Common460ヘクタール)があります。ウィンブルドン・コモンの北西には、さらにさらに広大なリッチモンド・パーク(Richmond Park1,000ヘクタール)があります。ロンドン中心部にあるハイド・パークの4倍の広さをもち、パークの周囲は13マイル(21キロ)あるということです。

リッチモンド・パークは、チャールズ1世が1637年に狩猟のために土地を囲ったことが起源のロイヤル・パークです。パークにはおよそ600頭の鹿が放たれており、パークの中を車で通り抜けると鹿の群れを見ることができます。これでライオンやキリンを放ったら、もうサファリ・パークもいいところです。日本より小さな島国に何でこんなでっかい公園がいくつもあるんだ、と言いたい気持ちになりますね。

左、西側から全英ローン・テニス・クラブとウィンブルドン・パークの方向を見る
右、リッチモンド・パークと放たれている鹿

リッチモンド・パークに入るゲートのひとつ


さて、センター・コートの席は大会の1年くらい前から申し込みの受付が行われ、抽選されますが、チケットを手に入れるのは至難です。とはいっても、行列に並んで長い時間待つことを覚悟すれば、会場に入り、センター・コート以外で行われるゲームの観戦をすることができます。

私たちも一度大会期間中の休日の午後に訪れてみました。「朝早く行くか、夕方近くに行くと会場がすいていて入場するための待ち時間が短くてすむ」、という話を聞いたので、夕方近くに着くようにしてみました。私たちは、その時はヴィクトリア駅からBRに乗り、ウィンブルドン駅まで行き、そこからバスに乗りました。当時、ヴィクトリア駅からウィンブルドンまでBR20分くらい、料金は1.80ポンド、駅からのバス料金は1.50ポンドでした。

ウィンブルドンには時過ぎに着きました。駅前は、特にどうということもない普通の駅で、テニスのメッカの雰囲気を漂わせるものはありません。会場の外でかれこれ1時間半くらい行列に並んだ後、ようやく夕方の6時頃、競技場に入ることができました。

左、入ろうと行列して待つする人々、右、シーズン・オフのローン・クラブにて
  

入場する時間によって料金が異なるようで、私たちが入ったのは”Ground only” “After 5 p.m.”のチケットで、当時2ポンドでした。大会のチケットのなかではもっとも安い部類にはいるのでしょうが、それにしても数百円でプロのテニス選手のゲームを観られるのですから、格安といえるでしょう。

  

すでに夕方といえる時刻となっていましたが、この時期のロンドンの日は長く、まだ真昼のような感じです。私たちは、近くのコートで行われていたダブルスのゲームを見たりしました。コートの数が予想以上にたくさんあったのにはびっくりしました。後でマップを見たら、私たちが見て歩いたのはほんの一部でした。

ここには芝のコートが19(センター・コートとNo.1コートを含む)、それ以外のクレイ・コートなどが14あるということです。センター・コートとNo.1コート以外のコートはクラブのメンバーが年中利用することができます。ただし、芝のコートは5月から9月までです。そして、センター・コートとNo.1コートが使われるのはウィンブルドン選手権の時だけ、まさに格式のあるコートなのです。

下、屋根のついているのがセンター・コート、その左側がNo.1コート

コートの芝は思っていたよりもずっと立派なものでした。テレビなどで観ると、選手がよく動き回るようなところは芝の緑色がはげ、茶色の土がむき出しになっているように見えます。しかし、それは土ではなく、やはり芝でした。芝は相当ふっくらと厚く深いものであり、しかも、手入れが万全に行き届いており、コートの平面はしっかりとしたものでした。さすがにローン・テニスのメッカだけのことはあります。

ダブルスのゲームを観ました  

イギリス人はピクニック感覚で競技場に来ています。ウィンブルドン・テニスは、ロイヤル・アスコットなどとならび、社交界の大事な行事で、イギリスの風物誌でもあります。会場では、この季節の名物のストロベリー・アンド・クリームを食べる人たちの姿が数多く見受けられました。

ストロベリー・アンド・クリームを食べる人々
   

行列に長く並び、その後も立ちっぱなしだったので、さすがに疲れました。ゲームを観戦してから、まだ明るい7時頃に会場内で芝生の上にどっかりと座って、リフレッシュメントで買ったジャケット・ポテトか何かで夕食にしました。会場内のスクリーンには、センター・コートでゲームが行われているジョン・マッケンローの姿が映し出されていました(その日は勝ったようです)。この年の優勝者は、男子がアンドレ・アガシ、女子がシュテフィ・グラフでした。

 

 

 
  

夕方にやって来て長いこと待ち、十分にゲームを観戦し堪能したとはいえませんでしたが、それなりに大会の雰囲気を味わうことができたので満足感を味わいました。その後、会場の中のショップでみやげ物を買ったりしました。そして、当日のゲームが終了した後、人のいなくなったセンター・コートの客席に入って写真を撮ったりしました。

  左、ゲームが終わり観客が去った後のセンター・コート
右、シーズン・オフのセンター・コート

ゲームが終わると、ウィンブルドン駅方向に向かう人の波や車の列ができていました。バスは来ないし、来ても時間がかかると思い、私たちも、ようやく薄暗くなってきた道をウィンブルドン駅まで人の波の加わって歩いたのでした。最初に書いたように、ここからウィンブルドンの駅まではけっこうな距離があるのですが、楽しい時間でした。


さて、イギリスが発祥の地となり、世界中で盛んになっているスポーツには、テニス、サッカー、ラグビー、ゴルフ、ボートなどがあげられます。このようなスポーツを生み出したイギリス人の国民性は実に尊敬すべきものです。しかし、テニスに関しては、発祥国イギリスの実力は低下し、長年イギリス人のチャンピオンは生まれていないようです。このようなことを「ウィンブルドン現象」などと呼ぶ人もいます。サッカーについても、イギリスがワールド・カップで優勝したのは過去1回だけです。なお、サッカーは当地では通常「フットボール」と呼ばれます。むろん「サッカー」でも通じますが。

ついでに、クリケットはイギリスが発祥国であり、本国での人気はあるものの、世界的にはほとんど人気はありません。日本では知っている人自体少ないでしょう。私もルールはほとんど知りませんでしたし、覚える気にもなりませんでした。野球に比べると、2日がかりでゲームが行われたりして、のんびりとした印象を与えます。ロンドンにはクリケットの競技場がありますし、郊外へ行くと、よくクリケットをしているのを見かけます。

クリケットを楽しむ人々(北ロンドンのエンフィールドにて)

ただし、インドやパキスタンでは、植民地時代の名残りでしょうか、クリケットが盛んであり、ワールド・チャンピオンシップと称して、これらの国々とクリケットの国際試合が毎年行われています。参加国が数カ国しかなくても、「ワールド・チャンピオンシップ」と称するのがイギリス人らしいところです。同じようにやれば、朝青龍は相撲の世界チャンピオンですね。なお、イギリス人は野球のことはほとんど知らないと思います。

往時の大英帝国に所属していた諸国とは、英連邦として今日も関係が残されています。イギリスへ来て知ったのですが、この英連邦の国だけによる「オリンピック」が4年に1回開催されているのでした。場所は参加している国の持ち回りで行われているようです。大英帝国の名残りがこんなところに残っているのだと感心しました。イギリスのジャーナリズムは、英連邦の存在を誇示するかのように大きくとりあげますが、もちろんアメリカは参加していませんし、参加国が限られているので、世界新などの記録はあまり出ないようです。まあ、日本と中国・韓国との関係に比べると、旧植民地の諸国と、今日もなおこのような関係がもてるということは、尊敬すべきことなのでしょう。

イギリスは、スコットランドやウェールズを除けば山がないせいか、冬季オリンピックではぱっとせず、あまりメダルは獲得していないようです。スキーなんか国内ではあまり練習する場所がありませんから、北欧やフランスなど欧州大陸の国にはかないません。

イギリス人と同じく体格の大きなオランダでは柔道が盛んです。1964年の東京オリンピックで、ヘーシンクが無差別級で優勝した時には、日本の柔道は今後体の大きな外国人には勝てなくなるのではないかと、小学生だった私にもショックだったものです。その後の展開をみると、依然日本柔道は冠たる実力を維持しており、「ウィンブルドン現象」は起こっていないようです。イギリス人にはこれまで柔道の強い人は現れていませんが、柔道や剣道の愛好家は細々ながらいるようです。

ロンドンにいた時に、日本の相撲がロンドンで巡業を行ったので、ロイヤル・アルバート・ホールに観にいったことがありました。イギリス人は、行司の呼び出しには、西洋にはない、東洋の国の神秘的な雰囲気を感じるようで、静まり返って聴いていたのが印象的でした。それを見ていたら、日本人の私でも日本の伝統というものを感じてしまいました。

相撲界にイギリス人の力士が出たらとても面白いと思います。しかし、イギリス人の辞書には、しきたりの厳しい相撲界に耐える「忍耐」などという言葉はありません。また、格闘技は基本的にハングリー・スポーツですが、イギリス人は、貧しい人でも精神的にはあまりハングリーではありません。したがって、今後ともイギリス人の力士が登場することはないでしょう。

ハイド・パークでジャパン・フェスティバルが行われた際には見にいきましたが、日本の「サムライ」が鎧かぶとを身につけて、馬に乗って走りながら的を射る流鏑馬はとても人気があり、黒山のひとだかりでした。その昔は、イギリスの地でも同じような勇壮な闘いが行われたのです。


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