ペトワース・ハウス
Petworth House


ペトワース・ハウスは、ウェスト・サセックスにある700エーカーもの広さの貴族の館です。17世紀末に第6代サマーセット公の住居として建築されたものです。ペトワースという村にあり、高い石塀に囲まれています。


私たちが訪問したのは10月のことでした。東京でいえば11月の気候です。駐車場から館までは約800メートルあり、けっこう歩かされました。途中にコンカー(とちのき)の大木があり、その実がたくさん地面に落ちており、喜んで拾いあったことを思い出します。18世紀にケイパビリティ・ブラウンによって設計されたという広大な敷地には、大きな池があり、鹿の群れが生息しています。池まで歩こうと館から歩きはじめましたが、寒いのとだだっ広いので途中でUターンしてしまいました。

ペトワース・ハウスは、1947年にナショナル・トラストの管理するものとなりましたが、現在の所有者第3代エグレモント伯爵はこの館の南翼に居住しています。

館の内部
  

    

The Square Dining Room


館の中で特筆すべきなのは、美術品のコレクションです。特にターナーの絵が必見でしょう。イギリスの絵画史でもっとも有名なジョセフ・ターナー(1775-1851)は、日本でいえば、江戸時代の寛政の改革の頃から末期にかけて生きた画家です。彼は、当時のペトワース・ハウスの所有者がパトロンであったことから、1830年から1837年にかけてペトワース・ハウスに滞在し、ここからの風景等を題材に絵を描いたのです。それが現在もこの館に13点残されています。

ちなみに、ターナーを日本に初めて紹介したのは、イギリス留学の経験がある夏目漱石かもしれません。1906年(明治39年)に発表した「坊ちゃん」のなかで、ターナーの名前が出てきます。

すなわち、−「あの松を見たまえ、幹がまっすぐで、上が傘のように開いてターナーの画にありそうだね」と赤シャツが野だに言うと、野だは「まったくターナーですね。そうもあの曲がりぐあいったらありませんね。ターナーそっくりですよ」と心得顔である。ターナーとはなんのことだかわからないが、聞かないでも困らないことだから黙っていた。−

左、ターナーの自画像(1799年頃)、右、Chichester Canal

ターナーの自画像は、ペトワース・ハウスではなくロンドンのテート・ギャラリーにあります。ターナーが20歳台の頃に描いたものであり、若々しく野心的な顔立ちが印象的です。今のイギリスのどこにでもいそうな青年の風貌をしています。彼の代表作に比べるとかなり写実的に描いているのが特徴です。

「チチェスター運河」という絵は、当時のペトワース・ハウスの所有者がこの運河の建設に出資し、それを記念してターナーに依頼した絵です。右奥に教会の尖塔が見えますが、実際には左奥に位置しており、ターナーはこの絵の構成上の観点から右奥に描いたそうです。

ペトワース・ハウスには当時から鹿がいたとみえ、ある絵には広大な敷地のなかにいる鹿の群れが夕日とともに描かれていました。この他にもヴァン・ダイク、ゲインズボロー、レイノルズといった画家の作品のコレクションがあります。私たちが訪れたときにはギャラリーが改築中でしたから、現在は立派なギャラリーに美術品が展示されていることでしょう。


下の2枚は、ターナーの代表作ともいえる有名な作品です。どちらも19世紀前半に描かれた作品です。鮮やかな色彩とともに、描かれているテーマは当時のイギリスの時代の移り変わりを感じさせるものです。ロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されています。

ターナーの代表作
左、Fighting Temeraire(1838, National Gallery)(部分)
右、Rain, Steam, and Speed(1844, National Gallery)(部分)

左側の作品の正式名称は、"The 'Fighting Temeraire' tugged to her Last Berth to be broken up"というものです。スペインの無敵艦隊を破ったトラファルガーの海戦で活躍した木製の帆船テメレールが、沈みゆく夕陽のなかを、近代的な蒸気機関を動力とするタグ・ボートに曳航されて、解体のためにロンドンのドックに向かっているところです。

右側の作品の正式名称は、"Rain, Steam, and Speed−the Great Western Railway"というものです。絵のタッチはさらに大胆で、印象派的なものとなっています。蒸気機関車が、雨の中、橋を相当のスピードで走って来る有様が、鮮やかな色彩の茫漠とした空間のなかで描かれています。1844年にロイヤル・アカデミーに出品されましたが、当時は困惑と賞賛が入り混じった評価だったそうです。

どちらの作品もターナーの晩年期の作品ですが、それだけに、筆使いは、細部にこだわらない、円熟した大胆さを示しています。わが国の北斎も当時としてはずいぶん長生きをした画家ですが、若い時代よりも晩年のほうが表現が大胆かつ個性的になりました。有名な富岳百景は、若い時の作ではなく晩年の作です。

19世紀は、7つの海を制覇したイギリスが、産業革命のもとで大英帝国へと、さらに発展の坂道を登り行く輝かしい時代だったのです。帆船の軍艦は、終わりつつある時代の象徴であり、疾走する蒸気機関車は、新しい時代の象徴だったのでしょう。そう思うと、蒸気機関車が走る茫漠とした空間は、人間が人生の若い時に抱くような、茫漠とした期待や希望を表現するもののようにも見えてきます。晩年のターナーは、時代の移り変わりをしっかりと見据え、自分の芸術として記録していたのです。20数年後の1868年には、わが国でも明治維新が起こり、時代はがらりと変わることになります。


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